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冬にそむく

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最近全くといっていいくらい本を読んでも呟かなかったんですが、『冬にそむく』はかなり言わせてくれよな作品でした。

下にあらすじを貼っておきますが、適当にまとめると、世界を終わらない「冬」が襲い、しかしそんな未曽有の現象に襲われても世界自体は終わらず、現実は続いていく。その中で主人公は一人の女の子と付き合っていて――的な話です。

 

終わらない冬のなか、二人はデートする。
年が明けてからもずっと「冬」が続くという異常気象。
気温のあがらない夏、九月に降る雪。コメの収穫は絶望的で、原油価格は上昇し続け、消費は冷えこんでいる。もう世界は終わってしまったのかもしれないと、人々は日に日に絶望を深めていった。

神奈川県の出海町にある海水浴場も一面雪で覆われ、サーファーも釣り客もヨットのオーナーも姿を消した。この町で育った高校生、天城幸久にはこれまで想像もつかなかった光景だった。降り続く雪でリモート授業も今では当たり前になっている。世界はもうすっかり変わってしまったのだ。

雪かきスコップを手に幸久は近所のとある場所へとやってくる。
金属製の門をくぐった先には、前面が総ガラス張りの変わったデザインの家が建つ。その敷地内で雪かきをしている女の子がいる。高校からこの町へ越してきた同級生、真瀬美波だ。彼女はこの家にひとりで住んでいる。
幸久は彼女の家へと通い、雪かきを手伝うことが日課になっている。

幸久と美波はすでに交際しているのだが、学校ではほとんど会話もしないため、クラスメイトたちは誰もその事実を知らない。
雪に閉ざされた世界のなか、二人は秘密のデートを重ねていく。

 

「冬」=「コロナ」だというのはもはやメタファーにならないまんまだと思いますが、ああ、と一致をして読み進められるのは事実で、実際それがかなりスタンスを定めるのを易くしてくれました。

高校生の主人公とヒロインが”既に交際しており”、彼らの日常を読者は見ていきます。が、俺たちはティーンエイジャーじゃありません。P.250まで基本的にいちゃいちゃし続ける様を見て心が動かされると言ったら真っ赤な嘘もいいところで、じゃあ俺たちはどこで作品と繋がっているのかと言うと、「冬」≒「コロナ」の部分なんですよね。
彼らの”傍から見ればただイチャイチャしている”様は、実際ただイチャイチャしてるに過ぎない。けれど彼らは決して切り離すことのできない、どうにかすることのできない、どうしようもない「冬」に囲い込まれている。それは程度の差こそあれある種の「冬」を味わってきた俺たちは推測し理解できる。多く濃く描写される「冬」がそれを助けてくれる。だから、俺たちは”傍から”見ていればいいし、それがこの物語読むうえで損はしない立ち位置なのだと、読み終わってから実感しました。

作者にまんまと転がされただけなんでしょうけど――。

ここで挟むのもなんですが、こういった『退廃した世界で、きどった、あるいは悟った男子と女子がうにょうにょエモエモする』みたいな話なんスカね~と正直危惧していたんですよね。実際巷にうんざりするほど溢れているので、そして俺はそういう作品が好きじゃないので、ビビってたんですよ。ところどころに示唆に富んだエピソードは差し込まれますが、ビビりを消せなかった。P.250までは。

P250から、彼らが俺たちに肉薄します。

ネタバレになりますが、彼らは死に惹かれていました。終わらない「冬」を終わらせる方法、この閉塞感から抜け出す方法、誰であっても完全に遂行できる方法は「死」です。それは俺たちも同じで、何かを完全にどうにかできるなんて、せいぜい自分の命くらいなんですよね。それくらいしかない。それだけは自由で平等でいてくれる。

視野狭窄だ、とみんなもそして当人すらも思う。そんなことは自覚している。けれど理屈でわかっても心では理解しきれない。
「冬」に青春を奪われなかった人間にはわからないことがわかりにくいかもしれない、でもあの頃確かに知っていたわからなさ。
思春期には自分で失くしていくものと、世界に奪われていくものの線引きがうまくできない。自分もわからなければ世界のこともわからないから、わからないまま、曖昧なまま目印になる折り合いをどこかに探す。物語に、音楽に、自分の大切なものに、あるいは好きな人に。きっと誰しもが、それらを頼りにして「冬」のような「春」を終えていく。

けれど「冬」≒「コロナ」という要因がそこに加わったら?

何を失くして何を奪われたのか、自分と世界は、その線引きは――雪に埋もれて痕すら見えず見出そうとして見間違う。現象に希望や不可能性をイメージしてしまう。

どうやっても「冬」は終わってくれないんだから。

 

この作品では、そんな暗い「冬」の中、ついに心地よい無音と無関係に支配される海に落ちて、むしろ彼らは助かります。

自分とはまったく関係ないと思える世界で、知りもしない家々が灯す光を見て。

それを読んだ瞬間に、”傍から”彼らを見ている”傍観者”で間違っていなかったと思わされました。そうやって俺と彼らはつながっているんだと。

それっていわゆる「社会」のつながりで、ごく当たり前に誰かの幸せを祈り成立しているしくみで、

言ってしまえば、「雪かきをしていく」、その営みなんですよね。

 

世界は変わらないし、「冬」もきっと終わらない。

 

それ受け入れて、意味ねえ「雪かき」の意味を知って、大人に少しずつ近づいていくんですよね。

 

以上。

アダルトチルドレン無職より、愛を込めて—――。