044

17歳(2)

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帰りの電車の中で自分に何度も言いきかせた。全ては終っちまったんだ、もう忘れろ、と。そのためにここまで来たんじゃないか、と。でも忘れることなんてできなかった。直子を愛していたことも。そして彼女がもう死んでしまったことも。結局のところ何ひとつ終ってはいなかったからだ。

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男ははてな・ブログを立ち上げる。そこに書くべきことは何もない。葛藤も挫折も目標も反省も、書かれることを必要としていない。140文字以上の言葉はもちろん、本当の話をしてしまえば、下手したら10文字もいらないのかもしれない、それがこの現在。俺たちが属している時間。俺たちは――いや、もう、一人称における誠実さのためにあの呼称の使用を控えるのをやめてみたいと思う。

「僕」たちは、それくらいに歳をとってしまったのである。

年齢なんてものを伏せるのは、何かをしている際、「え、まだ1〇歳だったの!? 若!?」の意味しかなくて、だから俺にとってはもうそんなのは関係のない話で、鏡に映るのは27歳で、水切りで全力投擲をすれば肩をいわすのを確信するような、あれほど理解できなかった毎朝コーヒーを飲む習慣にすっかり取り込まれてしまったような、この先の話に具体性がないと呆れとともに狂った人間だと認定されるような、少なくとももう若くはない人間だ。いいよいいよ、Twitter調の細かな果てのないツツキはさ。だってあの頃視点であったなら、生きてさえいれば俺はもう立派な大人になっていて、まあ、とにかく立派だったわけだ。まったく、別人を自分に見立てるようなばからしいある種の保母さんお母さん的勘違いだが、その感覚を否定してやることはできない。それがたとえ、真実ではないにしても。

あの頃。

それをどこに定めるのがふさわしいのだろう。一番楽しかった頃? 一番人生が上手く行っていた頃? 希望しかなかった頃? モテまくり勝ちまくりだった頃?

であれば、それらが割合の多くを占めていた歳?

一言だけ言っておこう。残念でした。俺にはそんなに輝いていたあの頃、なんてものはない。けれども、俺はその存在を確信しているし実感もしている。とすると、あの頃なんて実際にあったかどうかもあまり関係がなくなってくる。これは本当なんだよ。あの頃ってものは実体がなければ成立しない、そんなにつまらないもんじゃないんだから。むしろその内のエピソードが具体性を帯びるにつれて俺たちのものではなくなっていってしまうものだから。過去のように思えて、その実未来への憧れが閉じ込められているものだから。

まあ、こんな説明にもならない説明はいいか。結論ありきのつまらない見え透いたいやらしい問いだった。なぜなら俺はその歳をずいぶん昔に―おそらく、その歳以前の時分で既に―決め打ちしていたのだから。

そいつはもちろん、17歳。

そう、2025年最後を飾る、本ブログのキーワードは…

10年。 

あれから10年が経ち、俺は27歳にいる。

その通り、確かに17歳は全くの過去だ。大変な大昔だ。

そして俺が言いたいことは、下の画像一枚で充分すぎるほどに充分だ。

けれど。

それでも長々と書こう。冗長で散漫で感傷に寄り道して自意識であることを理解しながら。あれほど腐れ縁だったこいつらも今では瑞々しさを失くし疲れ切っていることを理解しながら。

これは俺が俺に向けて空元気製の発破をかけてやることが主旨なんかではない。30歳の時までの期間をどうにか乗り切ってやろうという口実でもない。じゃあなんなんだよ、これは、と思うかもしれないが、まず結論から言ってしまえば、青春ラブコメ終了済みの青春ラブコメで、エロ・ゲームのないエロ・ゲームだ。

つい、この前の大昔のことを思い出す。

「僕」は最上階のあの場所を目指し階段を上っている。誰も見ていないにも関わらず、落ち着き払って見えるよう、まさに当然のような顔をして。けれど、左手で持っている手紙が気になってしかたない。本当に余裕がない。心臓ってやつがここまでうるさくなるなんていうのは発見だな、とかなんとか自分と距離を取ろうと卑怯になって、いやいや、ここでカッコつけなくてどうするんだと頭を振り気合を入れる。とはいえ、不安は増してきて、いまさら手紙の内容を書き変えたくなってくる。うまく伝わらない気がしてる。でも今更なんだよな、昨夜、僕なりに精一杯頑張ったんだぜ? と諦めるように納得する。

書いては消して書いては消して、紙が汚れて新しいのにしてまた消して、もはや書くよりも消すのが目的になってしまったような気がしながら、バカみたいな時間を費やして、やっとの思いで書き終えたんだ。それでさ、改めてそいつを読んでみて、支離滅裂で、まあかなりキモくて、でも、四十回目くらいでどうにか最高のように思えてきたじゃないか。睡眠不足が見せる幻。それこそが万全ってやつだろう? 

そうこうくだらない回想をしている間に、扉の前に立っていた。頬を汗が伝う。夏だった。ここを開ければきみがいてくれるのだろうし、でも、そもそもすっぽかされているかもしれないとも思うわけだけど、その実ひどく安心していることに気づく、だって僕が好きになった子なのだ、答えはどちらであっても、きっといてくれるはずだ、いてくれただけで更に好きになる自信が湧いてくる。いよいよ本当に手遅れになっていると笑ってしまう。

意を決して、ドアノブを回す。西日で前が見えなくなるけれど、かまわず一歩を踏み入れる。風が吹く。光が浚われるように散っていく。バカだった。僕って本当にバカだったと思う。だってきみのその顔を見ただけで、手紙の存在なんて一瞬で忘れてしまって、誰にでも言えるようなことをこの声で言おうとしているんだもんな。

それでは何も伝わらないと諦めていたからこそ、文章に頼って手紙を書いたっていうのに、まったくの無意味だった。

その顛末も結果もみなさんの想像の通りで、あえてここで大げさに書くことはないので割愛するけれど、以来、俺が愛し信じるものといえば迷いなく無意味さと出てくるようになった。

×××

俺は無意味なものが好きだ。社会・現実として意味をなすことはないというのに、自分の中にだけは確かに意味を感じさせてくれるものたちが。

×××

17歳は17歳で終わるべくもなかった。ほとんど架空を纏っていた17歳に17歳の俺が触れることはできず、20歳を過ぎても、24歳を終えても、ついぞ掠りもできなかった。20代前半が終わる頃にはなんとか、どうにか理屈を拵えて、何かしらの結論を出さなければいけない観念に駆られていて、だから、言い聞かせたわけだ。よくわからないが、とにかくその時間は終ったんだと。それだけは本当だと。そして俺は納得を目指した。納得をするには手ごろな理由に取り囲まれていた。掴み放題だった。将来。年齢。人生。周囲。形のある、わかりやすい、了解された現実はこうも掴みやすく、あの感覚なんて探しているばかりで負債が募る。無形のものは掴みようがないんだから。そもそもないものにまだ拘っているにしても、ともかく、もう時間は完全に終っていて、どうしようもない。こんなんじゃ、まるでいい歳こいてたった一人でライトノベルを読んでいるような浮世離れの仕方だ。少なくとも近くにいてほしくはない。こいつ、ワイワイとかできなさそうだしな。もうやめよう。いい加減に、潮時(誤用)だ。

そういうわけで、
二十代中盤というのは俺のリアリズムというか、俺なりのリアリズムだった。
時間切れなりの態度を俺は模索し見繕って、実行した。その内に身体が納得を覚えていくだろう。時間というものはすべてを押し流すし、それにふさわしい身体作りに励めば、逆手に取るようにその絶対の真理を利用できるのではないかと。

その試みは思いのほか、うまく行ってしまった。

それもそのはずだった。考えてみれば、俺は嘘で、いつだって何かの「振り」をしているような気がしていたんだ。
小学生の時は小学生の、中学生の時は中学生の、大学生の時は大学生の、あらゆる個人的な関係性においてもそうで、だから振りは俺の得意で傾向で人生で――、と言葉を並べて、ようやく思い至る。

まさしく今、俺は「振り」をしているんだ、と。

そう、「終った振り」ってやつを。

いや、事実としては終っている。間違いない。誰が何を言おうと決定的にその時間は終了した。「振り」なんかではなく本当に、完全に終っている。事実はもちろんとして、実感にも嘘を吐く機能はない。

だから、確信することができた。

何が終って、何が終ってないか。何が終ってくれないのかを。

一刻も早く捨て去りたかったそれらが、あれだけ解放されたかったあれらが、本当に恥ずかしいあれこれが、埋葬したい全てが、俺をまともな大人にさせなかったほとんどが、誰もがそれらを抱えられ、且つ許される特別な時間が完全に終っても尚、全く終っていないことに。

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彼女は小枝を地面に捨て、立ち上がってコートについた枯草を払った。

「ねえ、十年って永遠みたいだと思わない?」

「そうだね」と僕は言った。

 

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×××

あの頃から10年が経過して、俺はまた、あの扉の前に立っていた。

季節は変わらず夏なのに、ここは以前よりか埃っぽいし、ドアノブももはやついてるだけになっている。もういいよ、と思いながらも、高揚を隠せない。外れかけたドアノブを自然と強く握っている。遮断しきれない外気の熱。扉からは光が漏れていた。そんな細い光がいやに眩しくて、俺は目を閉じた。

ずっと続いている悪い癖だ。なにより一番に考えたいものがあると、いつだってそれ以外の細部ばかりを気にしてしまうんだ。それ以外でできた断片を集めて、パズルのピースように当てはめて、埋まらない空白にその姿を模る。そんな迂遠なことばかりをしていた。

君について。

君がここにいてくれるのか、いないのか。

昔はそんなことばかりを気にしていた。でも、今は違う。

いてくれなくたっていいのだ。

それで俺が君に落胆し、失望することなんてない、なぜなら10年も、つまりは一生を、君について考えてきたんだから。

でもただそればかりで10年という歳月を過ごしてきたわけじゃない。

外れかけたドアノブにうまく力を加え、建付けが悪くなった扉をあけること、そういうののコツも覚えたんだ。

目を開いて、軽く息を吸う。外の風に撫でられる曇りガラスと小さく震える扉。振動が手に伝わって、何かが零れ落ちないように、つなぎとめるように少しだけ力を込めた。

俺はこの感覚を知っている。遠く、忘れてしまったはずなのに覚えている。簡単に衝き動かされてしまう。あらゆるものが変わり、終ったというのに、まったく変わらず終っていない。君が10年前、この先で、僕を指して言った二文字を思い出す。君の見立ては正しい。俺はずっとそうだった。結局そのままここまで来てしまったんだ。

ひどい音を立てて扉が軋み、俺はその場所に一歩を踏み入れる。相も変わらず眩しくて、視界が真っ白になる。なじみ深く懐かしい白だ。一面の雪よりも俺はこれに白を思うよ。

そして、そんな今更に、もし君がいてくれたらなんて言葉を言えばいいのかと思った。

もう、以前のような、それ、ではない。単純なものではない。でも、それ、でしかない、俺がバカみたいな時間を費やして米粒程度の脳味噌で考えてきたあらゆる文章をまとめたら、それに行き着く。

でも、そうだ、と俺は安心する。

俺が戸惑っている間に、君が10年前と変わらないことを言うのだろうと。

ではもし、君がいなかったら?

同じだ。でも、視線に耐えられなくて目を逸らすことも、沈黙に追い詰められて適当な言葉を吐いてしまう必要はないのだ。時間は足りないくらいに多くある。

だから、何もかもがうまく伝えられるよう、恐ろしく長文で、もしくはあらゆる手段で以て、結局意味するものがあの時と変わらないことを言おう。

俺がこれからも一生をかけたいと思うことは、それ以外にはないのだから。

×××

23歳。よく晴れた一日が惜しくて、歩いてばかりいた。その度に思った。俺の連続性はいったいどこにいってしまったんだろうと。

だからこんな形で、つなぎ目を見つけることができて心底驚いた。

だって、それはすべてが終ったからに他ならない。

ようやく終ったのである。あの頃の俺が思った、若い時分が。

×××

上記のことをひとまとめにすると「17歳(2周目)」ということである。

この一年はそういう年だ。

×××

2026年1月、俺はどこかすがすがしい気持ちで街を歩いていた。

年末と年明けはエロ・ゲームで忙しいからという理由で実家に帰省せず、とあるエロ・ゲームで完全になっていたわけだが、17歳(ツー)だとさらに確信を深めていくわけだが、この話にはオチとも言えない句点がある。

そういうわけで、時期をずらした1月中旬に帰省をした。

そこで俺がいつも通り、この先どう生きていくか、どう生活していくかの甘ったれた話をしていると、父親は言った。

 

「いつまでも18歳ってわけにはいかねえからな」

 

いや、本当にその通りだと笑ってしまった。

 

×××

彼女の言葉には続きがある。

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彼女は小枝を地面に捨て、立ち上がってコートについた枯草を払った。

「ねえ、十年って永遠みたいだと思わない?」

「そうだね」と僕は言った。

 (中略)

彼女は笑って煙草を灰皿につっこみ、残っていた紅茶を一口飲み、それから新しい煙草に火を点けた。

「二十五まで生きるの」と彼女は言った。「そして死ぬの」

一九七八年七月彼女は二十六で死んだ。

 

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彼女の言った言葉には絶望が込められている。10年が永遠に見えるほど、「これ」は途方もなくどうにもできないものだ。

俺は少しだけわかる。いや、傲慢の誹りを受け入れてでも、よくわかると言いたい。彼女がどういう想いでその言葉を言ったのかも、そこに何を期待していたのかもおそらく。

でももう一生を生きてしまった俺は、それをわかりながら、身に沁みながら、精一杯の誤解と冗談を拵えるしか方法がない。

彼女が束の間でも自分の文脈から解放されて、「くだらないね」と笑えるように。

 

×××

 

そんな年末投稿予定で一月に倒れ込み、ついには四月の今になったブログを見て、ついでに雨のせいで早足で散っていく桜を見て、言うべきことは一つだった。

 

今年の桜も、最高に…………

 

 

 

 

 

真実の妹船 TRUESISTER号 4.5月号

「同時に行こう」
「ああ」
 す、と手を差し伸べられる。
 俺はその手を取った。
 そして二人一緒に、オブジェの台座に上がった。

 ——ここが、俺たちの旅の到達点。

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×××

今更ながら『ミモザの告白』は俺にとって個人的に思い出したい作品になった。それは良作といえる作品のクオリティもあるが、何より彼らが修学旅行の、一度切りのイベントの、取り返しのつかなさの、その延長戦として「北へ」向かい、最北端の地で未来に触れたからだ。

×××

新卒一年目の夏、俺は北海道に旅行に行き、車で札幌から宗谷岬を目指した。ロクに調べてもいなかったのでコンビニ程度の気軽さで帰ってこれるだろうと思っていて、いやそれは盛りすぎだけど端的に言うとクソ舐めていて、レンタカー屋の店員に唖然とされたのを覚えている。もちろんホテルも取っていなかった。——これが、俺たちのざつ旅の到達点。

札幌の碁盤みたいな街を抜け北上すると暴力的原風景的田舎的風景が広がる。よく晴れた青空は夏そのものだった。サングラスを買ってきてよかった。眩しすぎるし色に元気がありすぎる。あっという間に過ぎ去るとされがちな季節だが、気温が高ければ高い程、照り付ける陽射しが強ければ強い程、その分だけ硬く時間が固定されるように感じる。海の前に立った時のあの時間が沈黙したような一秒が続いていくみたいだ。だからか、その中を車で走っていくのは本当に気持ちがよくて、クーラーを無感動に入れるのが一番楽で便利で心地がよいくせに窓を開けたりなんかしていた。ぬるくても全く気にならなかった。風を浴びていることが気持ちよかった。俺たちと俺たちだけがこの時間で進んでいることの証だった。車内で一番流して(れて)いた曲はガリレオガリレイ『バナナフィッシュの浜辺と黒い海』。

ガリレオガリレイサカナクションフランプール、セカイノオワリ、ベースボールベアー、俺たちはそういう世代だった。(ラジオ番組「スクールオブロック」の顔ぶれだ。ウォークマンを天高く突き上げたり、勉強机のスタンドライトの上に載せたりしてなんとか電波を拾おうとしていた、行動の側面なんて考えなくて済んでいた、ぼくたちのいちばんたのしかった時代の話だ)

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歌詞はメタファーとして機能しない。俺たちの何をも語らない。だから無関係にこの曲があの八月の北海道だったと言える。作品というのは人生や出来事のアウトラインから独立していればしているほど本当らしくていい。何か/誰かがわかりやすい形で介在していると途端に嘘くさくなる。「僕」「八月」「北海道」「その曲」。その全てを切り離すことができる。しかしそこには言語化してしまえばつまらない接点が確かにあって、時間を媒介とした場合のみ有効に結びつくことができる。つまり、少しだけ光る。瞼の裏に残るあの言い難いきらめきに近い。それこそが作品と自身のしっくりくる距離で、Twitterの方々の「信仰」とも「娯楽」とも上振れてしまっている市場の「商業主義」ともバランスを取れる曖昧なポジションで――ああすみません、本当はこういう話はまったくしたくないんですよ。死ねよって感じですよね。でも「死」は10代だけで、アラサー以降は「孤独死」なんだよな。

さあ、ソフトクリームを食べたりなんかして最北端を目指す。北海道。よく考えなくとも行くべきところは多々ある。まずデカすぎるし観光地がそれぞれ遠いから前もって楽しみ方をねるねるねるねするのが大人の作法だろう。休みは有限なんだ。最高の旅にするためには綿密なプランが必要とされている。うんうんと首肯しつつ、宗谷岬以外全部捨てた。

なぜか?

宗谷岬に限りなく自力で到達することができれば、何かを越えられると信じていたから。それがどんな景色や楽しい体験よりも優先しなければならないことだという直感があって、当時の俺はそれを大切にしてやりたかった。

たぶん”あんた”もだと思うけど、たまに魂がライトノベルになる。純文学でも一般文芸でもなくライトノベルになる。そして今でももちろん俺はライトノベルでいたいと思っている。そして今ではもう不可能だということを確信してさえもいる。

左側には海が見えているはずだった。

けれどペーパードライバーの俺は運転に必死で、前のめりの姿勢で、緊張しまくって、まったくそれどころではなかった。緊張が弛むくらいの時にはもう青い海はなく、曇天と灰色の海が広がっていた。とんでもねえ風が吹く。雨も降りだす。稚内の残り僅か表示のホテルの予約を取る。到着する。でけえ葉をつけている植物が暴れまくっている。部屋のテレビを点ける。明日は台風相当の天気になるとのことだった。

終わった。とんでもない間違いをした気になった。やっぱりなという感覚があった。どこかでずっとそう思っていた。雑な答え合わせだった。

しかし翌日、宗谷岬に俺はいた。風の苛烈さに目も開けられたもんじゃない。夏なのに寒すぎる。でも笑ってしまった。あまりにひどすぎるものは笑うしかない。世界の終わりみたいな景色にただ笑えてしまった。もう爆笑だった。おかしくてしょうがなかった。

だから、やっていけると思った。

——ここが、俺たちの旅の到達点。

結論を言う。やっていくことはできなかった。

でも、まだどこかにいけると信じている。嫌いな人間の悪口を言って、孤立して、閉じていって、およそ人生に何もなく、かつて好きだったものもどうでもよく、物語が好きな連中も嫌いで、嫌いなものが増え続ける中で、信念も美学もなくし、人生の要所要所で自分が不利になることをわかりきりながらそれを選ぶ以外の選択肢がなく、そこには陶酔ではないと言い切りたくも切れないプライドじみた義務くらいしかあってくれず、思い出話に思い出はナシで、結局は他人を本当には理解することなどできず、すべてが過ぎ去っていき、かといって教訓も貰いたくなく、いつまでも怠惰をむさぼり、自身の人生の責任を棚上げにして、自分で自分をあざ笑って、そのループから抜けられず、ぐるぐるぐるぐるとまわりつづけ、ここから逃れる簡単な術はドロップアウト程度しかなく、とはいえ本当にはどこにも逃げることなどできないことを理解し、決して酒ではない酒的なものに逃げ、嘘のコミュニケーションを続け、目を閉じても焦燥感は眠ってくれずに最悪な夢を見るばかりで、一日一日を無感動に破り捨てることしかできなくても、それでも、

それでも、

それでも(キモいオタクが最も好む接続詞)、

それでも、

それでも(冷笑)、

それでも、

それでも(羞恥)、

それでも、

それでも(冷笑)、

それでも、

それでも(ライトノベル)、

どこかに行きたいと思うし、
事実として、ここではないどこかに行かされちまうんだよ。

×××

「Part.2」に押しやられた実感がある。20代前半までが俺が幼心に人生に求めていた「時間のすべて」で、それは終った。時間切れ。試合終了。紙幅が尽きる。容量の限界。なんでもいい。俺にとっては満杯の、透明の砂袋が一番その像に近い。

もう、この袋には時間を注ぎ込むことはできない。口を締めるだけでも砂が零れ落ちていく。けれどやり遂げなければいつか倒れてたくさんを失う。強く結ぶ。ついに全貌を窺い知ることができなくなる。手を突っ込んで砂の感触を味わうことも、手の平から少しずつ落として一粒一粒の存在を確かめようと試みることもできなくなる。透く滑らかな表面を眺めることしかできない。

対象化されてしまった。当事者ではなくなってしまった。青春ラブコメデブの末路としてはこんなもんだ。後ろよりの席で頬杖をついて別世界をぼんやりと眺めているんだ。

……なあ、もしかしてわずかながら美しいものも混じっていたかもしれないな。いや、そんなにいいものじゃない、なんて言葉は生温いほどにロクなことなんてなかったし、何も上手くはいかなかっただろう。さっさと終ってほしかっただろう。でもあっけなさに落胆してしまったんだろう、良いことも悪いことも全部あっけないのが哀しかっただろう。

またいつも通り感傷に満ちた自己憐憫ナルシシズム系の話か、水溜まりを眺めるのはもうやめたんじゃないのか。違う、誤解しないでほしいんだ、いつもしているのはそんな話じゃないんだ。徹頭徹尾「ヒロイン」についてを話し続けているつもりなんだ。

青春ラブコメデブの末路としてはこんなもんだ。後ろよりの席で頬杖をついて別世界をぼんやりと眺めているんだ。

彼女は窓際で、前から三番目の席で、俺は窓際から二列目で、最後から二番目の席で、彼女を見ている。視線を向けているのが俺の後ろの席の人間たちにバレてしまわないよう正当化できる理屈をいくつも拵えて携えながら、やっとの思いで彼女を盗み見ている。彼女は俺の対象で、俺は彼女の当事者足りえない。だからそれがどこにも辿り着かないと知りつつも、しかし考えずにはいられない。

彼女は美しいのだろうか。かわいいのだろうか。いまいちよくわからない。自分の目に確信が持てない。どんなことを考えているのだろうか。彼女は教師と黒板をランダムに見やって、板書をノートに書き写して、シャーペンの芯を詰めて、カチカチとノックして、真面目そうにその繰り返しを行う。リプレイを押し続ける。どんなことを考えているのだろうか。そういえば、彼女はあくまで俺が見ている限り、チャイム前着席をずっと守っていたな。どんなことを考えているのだろうか。問題の解答の順番が彼女にまわってきて、予定調和のように答える。声を聞いていたいし聞いていたくもない気がする。どんなことを考えているのだろうか。

その姿を時々の範囲を越えないように、俺はただ眺めている。

彼女は、どんなことを考えているのだろうか。

彼女は、本当はそこまで素敵な女の子でもないんじゃないだろうか。

どんなことで彼女に惹かれているんだろうか。美しいものがあるからだろうか。かわいいものがあるからだろうか。やはり本当はそうでもないんじゃないだろうか。俺が目を逸らしている隙にとんでもなく悪い人間になったりするんじゃないだろうか。話しているところを何度か見たとて、俺は彼女の姿以外を知らないじゃないか。彼女がどんなことを考えているのか、まったくわからないじゃないか。なのに見ることを辞められはしない。隙を見て、タイミングを見て、彼女を見る。繰り返す。繰り返し続けて、息が止まる。

 

彼女は、窓を見ていた。

つまらなそうに。

本当に、つまらなそうに。

 

しかしそれはほんの僅かのことで、教師が板書のために背を向けたタイミングでそうしたのだとわかった。そうなのか、と思う。何に対してか、納得する。確信に近い感情が喜びとともに沸き上がる。俺は嬉しいんだと思う。彼女を見て、こんな気持ちになることが。

俺は全部を差し出そうと思う。何かを本当には知ることもできず、何かを共有することもできず、何かを伝えられもしない彼女に対して。自分の持ち物の少なさに唖然とし情けなくなりながらもどうにかして。彼女が俺を感知することはない。俺と彼女は始まりなく終っている。断絶がある。同じ時間は流れず、季節も異なり、声を掛けることも触れることもできない。

色褪せた春、色褪せた夏、色褪せた秋、色褪せた冬、色褪せた時間、Part.2なんだ、繰り返しの響きがなくならない続きものだ。あれほど気にかけていた、俺を含んでくれた季節と瞬間を思う。そうだ、遠ざかるほどに意味を持つ持ち物になるんだ。手に取れるものになるんだ。天気も季節も時間も色もないこの場所で、晴れた空で夏を待つ昼下がりの色鮮やかな彼女を、正しくはないにしても、まっすぐ眺めるためにようやく差し出せるものになるんだ。まっすぐ眺め続けていたいという思いと、共にあってくれるものになるんだ。

終了のチャイムが鳴る時間はわからない。けれど必ず鳴る。時間は平等に過ぎ全部が平等に終る。それまではここで、この教室のこの席で、目を閉じて開いてを繰り返し、わずかに光る暗闇とそこを生きている彼女を、交互に見つめていたいと思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

×××

正気的なことを話すと、ブログという形式でこういうことを書くのは後ろめたさがあり、やはり逃げや邪道という感じが否めない。真冬にTシャツとサンダルであんまん食べているようなもんだ。Twitterも他SNSも何もかも確固としたスタンスを決めていないからさもありなんだけど(てか、別にこういうことを考えなくてもいいんだけど)ことブログに関してはもっと気軽にふざけた用途で使っていきたいんだよな。と、いうことを書けるのも今回で最近考えていたことの一応の決着はついたからで、もうこういうことはここではしませんという自身に向けた表明と記録でもある。ふつうに「女性声優とぼく2ndシーズン」。「いちご100%、振り返ってくれ東城、振り返るな東城」とかで書きたいもん。だからそいうのがふさわしいし俺自身が求めているという考えの決着でもある。終了のチャイムを自主的に当事者として鳴らす必要があった。それは色んな場所を回らないといけないものだけど、ここではとりあえずそれができたのではないかと思っている。

×××

 

0322

図書館に足を運ぶと、これまで学生でぎっしりと埋まっていた座席にはもう誰一人いなかった。もぬけのから。そんな言葉がしっくりきた。そして言葉が意味とぴたりと合う感覚は久しぶりだった。歳月が過ぎる程に言葉と指し示す意味に埋めがたい隔たりが生まれ、実感が湧かないことに慣れてしまって、だからこういったそのものの風景に出会ったとき、辿るようにようやくその言葉を思い出すのだ。

この図書館は立派であるが故に開館までに三折りくらいの待機列ができていて、都会ってキモいなと心底感じたのが去年の夏だった。それからついこの間まで、閉館前の一時間を除き、図書館の椅子と机のあるスペースは満杯で、月更新の館内掲示板には毎月文体と筆跡と紙の色と配置を変えただけの同内容のものが貼られていた。「机と椅子を増やしてください」

こんなにも状況が変わらないと永遠が見えてくる。そして、そんな嘘の永遠に慣れている俺は何の疑いもなく、絶え間なく混み続けているのだろうと思っていた。

が、今、三月の下旬、誰もいなくなっていた。おかしな話だ。こんなこと、いや、こんなくだらないことは当然わかっていたはずだった、俺であれば。おかしいのはそこで、なぜなら、『卒業』なんてものがよりにもよって俺の頭から抜け落ちるわけがなかったはずだから。

人は死んだことがないから死について語ることができない、と厚ぶったキャラクターがよく言うけれど、俺はある。もう死んでいることが、日常生活のごく些細なものとの関りで暴かれる。何にも興味が湧かないのはもちろんのこと、忘れてしまう物事が、瞬間が増えすぎていることが明らかになって、自分が、誰と何を話したか、その口調や表情や風景、自身の感情までもすべて覚えていた当時とはあまりにも遠い場所に立ってしまっていることを自覚する。こことそこは線で結ばれているのか定かではない感覚は、青春が終ってしまったことを思わせる。だって今ポケットの中から出てきた虹色の飴玉を、いったい誰からもらったのかさえ思い出すことができないんだから。

青春の持つ魔力の一つには、時間の点と点を線にして繋げるものがある。昨日と今日を結び、今週と来週を結び、冬と春を結び、17歳と18歳を結び……そんなことを勝手にしてくれていた。ちょうど車道と歩道を分ける、あのところどころ風化して欠けている白線に近い。俺はその上をただ無意識にぼんやりと歩くだけで良かった。足元を見ずに、空を見上げたり辺りを見回したりしてもその上を歩くことができた。そして、気づけばその終りまで来ていた。

水溜まりがある。

水溜まりには反射された風景が映っている。懐かしいなと思う。俺はこの感覚を忘れてはならないと感じる。もうつかまえることのできないものの名残だ。名残りさえ遠く、それに出会えるのは眠る前のあるとき、深夜に月光を透かして揺れるカーテンを見たとき、初めて聴いた音楽なのに胸が震えるとき、木漏れ日の中で優しい風を受けたとき、…そんな一瞬たちで、もちろん、自覚した瞬間に消えてしまう。続いているものはもう確かな白線になってくれはせず、世界の些細な場所に散りばめられていて、光の反射か何かで、俺たちの目からはうまく見えにくいように巧妙に隠されている。

俺はじっと、注意してその一瞬を見つめるべきだと思う。それを誠意のように思う。取るべき態度のように思う。俺が大事にしてやりたいものだと思う。そのために、いくらでも立ち止まるべきだと思う。どれだけ差し迫った予定があろうと、逃してはならない電車を見送り続けるのがこの上なく正しいように思う。

×××

それで結局は、ふざけた話がしたくなる。

×××

タイムマシンが実は完成している、という有名な話を思い出す。山手線で未来に行ける。これを聞いたとき当時は「たはは」と思ったものだ。他愛無く微笑ましいあたたかなものだと。新幹線に乗って約1200km先へ行くと、10億分の1秒未来に行くことができる。やっぱり平和を感じてしまうんだ。

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翻って、過去に戻る方法は現在はどこにもない。他愛無く微笑ましいあたたかなものにも完全に見捨てられているが、とんでもない速さであれば未来には行くことができると聞くと、なんだか、本当になんだか、とりあえず今より速くなりさえすれば、走れさえすれば、過去に置いていかれはしないんじゃないか、と思うのだ。

色々と思い出せなくなる。絶対に付与したくなかった、都合よく思い出にするための装飾をべたべた貼り付けたくなってしまう。あの頃ってなんなんだ。どうしてあの頃になっていってしまうんだ。忘却とかいう時間に密接にリンクしているシステムのためか? 俺たちの現在は進行中であるとされるからか? 本当に? 今が進んでいるなんて思えたことが、十年近くはないんだよ。過去に置いていかれる感覚ばかりなんだ。俺から離れ、どこか別の場所に去っていくのを見ている感覚ばかりなんだ。

そんなイメージもあってか、俺は誤解も甚だしい”なんだか”を思ってしまうんだろう。追いつくことはできずとも、少しだけそれらと何かを共有できるはずだと思うんだろう。

×××

水溜まりに映る景色を見るのが病的に好きだった。子供の頃からだ。特に意味はなかった。そんなものを見ずとも景色そのものを見れば済むというのに。今なら手軽な診断名をいくらでももらえそうだ。

今は、それに意味を見つけられてしまう。そこに立ち止まり離れない理由が驚くほどたくさん見つかる。ほんと、感傷に浸るのは安易で心地いいんだよ。俺のような、もう別に何も楽しくない、かつて好きだったそれらもまあ別にいらないんじゃねえか本当はって、思う俺たちには特に。

 

そんなこんなを当てもなく落ちもなく書いていたら、三月から二ヶ月も過ぎていた。五月。そうだ。嘘の季節が始まる嘘の月だ。全編嘘の月と嘘の季節だ。

最近雨が多くて、青空の下にさえ水溜まりが残っているときがある。自然にそいつを見る。賑やかな声が聞こえる。全員まったく同じ帽子をかぶったキッズたちだ。保母さんか、誰かに率いられる子供たちはひよこのように見える。譲るさ、道を。当然俺もまだそこまでじゃない。心の中のヒロインに道を譲ることを提案され、受け入れた。ぼーっとするのは得意だ。賑やかな声が遠くなっていく。視線を前に戻すと、子供たちが水溜まりを飛び越えていた。とても楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

0221

ブログを書くのは俺にとって事実上の降参に近い。ろくでもないにしても確かにあった時間や想いを残しておきたくて、それにふさわしいものがいくつもあるというのに、安易なこの形式を選んでしまっている時点でお察しだと思ってる。

もちろん、ごく素朴な意味合いでブログを書く人は素敵だし、内容だって癒される。もう俺は神社に行っても絵馬を読ませてもらうだけで義務祈りすらしなくなったのがその説明に足るはずだ。足りてほしい。

話は逸れるけど、『パーティーが終わって中年が始まる』みたいな本を一年前くらいに皆様式(流行に乗る)で読んだ。中年になった筆者が中年的視点から若さを振り返る形式なのだが、「あの頃ブログを書いていても別に見てほしいわけではないというフリをしていたが、実際は多くの人に見てほしかったんだ。そうでなければ、インターネットなどという開かれた場所に書きつけることはなく、日記帳にでも書きこんでいただろう」といったような文章があった。たぶんこんな感じだった。

でも俺たちは、少なくともここで、俺は、思う。

本当にそう言い切ってしまっていいのか?と。

なぜその話を今さらするのかというと、今さらになってきたからだ。

俺たちはまだあの時の教室に居残っていて、机の裏に書いたしょうもない落書きが誰かに発見されることを待ち望んでいる。その人はクラスの誰かかもしれないし、違うクラスの誰かかもしれないし、ずっと先に学生になるキッズかもしれないし、最後に机を机として葬ってくれる作業員のおっちゃんかもしれない。少なくとも、みんなでも多くの人でもない。偶然としかいえない、些細なものによってのみ媒介される誰かに向けて。それ以外心底どうでもよかった。俺が言いたいのはそういうことだ。

本当に、なんでこんなことを書いたのかというと、今さらだからというのもあるし、強いうねりにあったはずの想いが簡単に負けていくのを最近でもないがよく見るからだ。いや、理由なんてなんとなくでいいと先に言えないのが俺の限界だけど、よく思う。誰もが誰かの言葉に納得して、言葉にならず、正しくもない、わりと惨めな感情を忘れることを許してしまうのが辛いんだ。だから俺だけは、ずっと惨めで、恥ずかしくて、シンプルに「たはは…」と失笑される言葉を言い続けていたい。終った話をずっとしていたい。

まだまだ惨めになれることが、負けられることが、少しだけ嬉しい。

×××

こんなことをここで書いているのは、アホほど酔っ払っているからだ。
寝れず、何かをすることもできず、無限に涙が出てくる。

×××

 

十二月から一月はよく晴れた日が多くて、なんかずっと青くねと空を見上げる度に思っていた。午前中にベランダに出て、その当たり前の景色に当たり前のありふれた感動をしていると、よくヒロインが言ったものだ。「たぶんまた今日もなくしちゃうんだね」その通りに一日をなくし続けるしかない俺はもちろん一日をその通りにふいにした。し続けてここまできた。去年から今年にかけて年末も正月もなかった気がする。その理由はダビングでしかない日々で、わずかにある差異を見つけてみようとすれば、目を凝らしてようやくわかる映像のブレ、耳を澄まさないとわからない音声の一瞬の乱れ程度としか言えない、極めて限定された範囲での、俺の力でどうにかなったちっぽけなものが少しだけあるくらいだ。

その一月が終わって二月が終わる。春めいた空でいい加減に限界ではあるけれど、こんな風に何もなく、流されるまま、この一年を終えてしまうことが確信めいていてうんざりしている。しかしだ…。そうでなければリアリティが感じられないんだ。突然のようにすべてを一変させる救済めいた出来事が起きたとする。でもそれはあまりに嘘くさすぎて、嘘だとしか思えない。死にたがっている人間が、希死念慮を思うがままに書き散らす。しかし彼らは必ず救われる。救われるためとでも言わんばかりの苦悩は実にしんどい。俺は、自分の地平を越えられず、疑い、不幸になる人間が好きだ。きっと彼らはマジなんだろうということが、よくわかるからだ。

×××

彼女は車道と歩道を分ける縁石の上で、どうでもいいようにバランスを取る。落ちてもいい、落ちなくてもいい、右は夏で、左は冬で、その危うさと、それを実感できないことを楽しんですらいる。そんな彼女に何か言えたらなと思っている。

夏待ちの女の子について

Twitterでヒロインヒロインとほざいているが、これがなんなのか、俺にもよくわかっていない。二次元でもあり三次元でもあるし、たぶん一次元も兼ねていて、ほとんど別次元の何かでさえある。一人であり複数人であり、歌詞の「きみ」であり英米文学の序文にありがちな「〇〇のために」の〇〇であったりする。外を散歩していて、特に話す価値もないちょっと笑ってしまった出来事や、取るに足らない繰り返しの美しさでしかない、青空や星や月についてを共有したいなと思う、名前のない誰かである。

夏を待っている女の子が好きだ。

夏は幻想だと知っていても、それでもその季節を待っている女の子が好きだ。裏切られることを知りながら、たいして好きではないことに自覚的でありながら、自分が持つ十代という時期に耐えきれないことを悟りながら、どうすればいいかもわからずに、わけもわからずに心を震えさせる、夏の足音を大切にしてしまう女の子が好きだ。

スカートを膝までの長さにして、廊下を歩くときはいつも何かから逃げているようだと思ってしまう女の子がふと立ち止まって、窓にそっと手を触れる。「夏が来るんだ」と小さく呟く。原色に近づく空の青色は、入り組んだ迷路みたいな性格も、袋小路みたいな自意識も軽やかに通り抜けて、そんなことを言わせてしまうのだ。しかしその言葉は誰の耳にも届くことはなく、消えていく。

夏を待っている女の子が好きだ。

それはつまり、夏に行くことのできない/かった女の子が好きなのだ。

彼女はよく本を読み、音楽を聴く。高尚な種類のものとは言えない。なんとなくがそのすべてで、それを愛している。さらさらと時間が流れていくように感じている。ずっと澄んだ川を飽きもせずに覗き込んでいるみたいだ。そんな情景が簡単に浮かぶ。ミステリアスだとさえ思う。微笑みはなんとなくもの哀しい。でも彼女に不思議なところなんて全くない。すべてが自然で当然で、彼女式の正しい文脈の中で、正しさから脱出できずにいて夏を夢見ている、本当は凡庸な女の子だ。

なぜ彼女は夏に行けなかったのか?

彼女は誰もが持つように夏に行く資格を手にしていた。その切符を大切に持ち続け、何か辛いことがあるたびにそれをお守りのように、掛け替えのない人が笑っている写真のように、ポケットから取り出して眺めていた。そうして何度も何度も見続けて、支えにし続けて、それを何よりも大切にしていたはずなのに、失くしてしまった。神様にも咎めることのできないどうしようもなさに奪われてしまった。

だから夏に行けなくなったのか?

彼女のことを思えば思うほど、言葉にして陳腐にしてやりたくはなくなる。きっとそうではない。そうではないだけだ、としか言えない。彼女の理由を「よくある一つ」にしたくないから。「いつか救われるためのもの」として話してしまいたくないから。

だって夏に行けなくなってしまったんだから。

そんな彼女のことを思う度、俺はたまらなく寂しくなる。マジでこれはなんなんだ? 俺が狂っているのもそうで、もうそんなことを言ってられる年齢でもないのもそうで、そして、存在しない夏待ちの女の子についてどうしようもないほど心を震わされるのも全くの事実だ。

言葉のすべてが負け犬の遠吠えになって久しい。長い話をすればすべてが自身の病状の説明になる。なんてことない散歩でさえ真剣に考えることをすれば一歩も進めなくなる。ガチで何するにしても間違えている気しかしない。まったくのゼロよりもやばい。

でもこの現状になって、精神状態になって、無意味になって、言葉は本物になったと強く感じてる。少なくとも嘘くさくなくなった。マジで今だって恥ずかしくてたまらないけどそれはダサいから、言い訳なく、誠意として、……夏に行けなかった女の子への誠意として…

 

俺、狂おうと思います。

 

もうこれだけしかできないから。

そういう風にして、いつかその場所に行きついて、そこからの景色を見てみたいんです。

そしたらたぶん、なんか、すげえ小規模に笑い合えると思うんです。

どんな景色であったとしても。

 

今年もありがとうございました。

人生イージー?

なんとか世界に縋りつくために職場から片道一時間半程度の場所にあえて引越してから数箇月が経ったのを明け方の寒さで実感する。嘘。カレンダー見るたびに今年の終わりを考えているからそんなことはない。

というのはどうでもいいことで、今回言いたいのはこの新居の六畳間(ろくじょうかん)の、机の前の、壁に貼ってある一枚の紙についてだ。

暦上での夏(俺自身の夏は10年前くらいにガチで終わったと思うんで回りくどく常に言っていきたい。リアルでも枕言葉に、まぁ、俺の夏はずっと昔に終わったんで暦上の、あくまでも嘘の季節としての夏なのですが――、と前作主人公ばりに付け加えている。ちなクソキモいらしい)そいつにある言葉を書いた。

シンプルで、起き抜け2秒の脳みその状態でしか書けない言葉だ。つまり前向きな言葉。手軽な祝福。「We are the world」に手を叩きながら乱入できる精神状態で繰り出せる文言。

机に向かう度にそいつを見て、ちょっと笑っていた。素で「お前マジかよ?」と思わざるを得ないからだ。

それで日々、焼き鳥屋の秘伝のタレがごとく、その紙に今抱いている忘れてはならないだろう言葉を付け足していった。

ちなみに今ちらりと目を向けるとパッと目につくのは「脱出」。

先程秘伝のタレが云々といらない喩えを持ってきたが、まさにそこに宿る秘伝のように最初の言葉は埋もれていきのちにゼロに近くなっていくらしかった。そういう意味合いで喩えが成立してしまった。

夜、その貼り紙を見ると不思議な気持ちになる。

前向きな言葉を日々じっと見ていると、人間は手軽に鬱病(ニセ)になれるんだって――。

この気持ちを味わってほしいんで、深夜に目を閉じて、いつもどおりの諦観のまま、限りなく素面で……

 

ダイアローグの「人生イージー?」を聴いてみてください。

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