お久しぶりです。暇です。
夏は終わらないんだが、まだ八月○○日(31より大きい任意の数字)なんだが、と歯を食いしばって抵抗していたシーズンは、純粋な寒さによってやられてしまいました。
精神で抗っていたとしても、外を歩いているときに肌に刺さる冷気で簡単に納得させられてしまいます。
ーー夏、もう終わったんじゃね? と。
こういう種類の気づきはあまりにどうしようもなさすぎて、もう言い返すことを諦めさせてくる。毎度毎度敗北感を味合わされる。もう敗北感しか味わったことがない。
秋は心地よい季節すぎて、何もしないとただただ緩い幸せがダラっと続いている感じしかなく、ぼーっとしているとさよならの手前に来てしまっている、まさにそんなやりにくい季節です。
触れられるわずかな現実では何のざらつきもなく、無…故の、暗いとしか言えない『将来』(いつからルビが”ぜつぼう”になったんだ? いや、そうさせたのは俺、です、か)が傍らで息を潜めていて、実体の無い焦燥に振り回されてばかりのーーガチでうぜえ季節。
夏か冬であれば、暑かったり寒かったり汗出てきたりうるさかったり毛布から出たくなかったり、それを形にして対象を恣意的に決めることができるからこうも焦燥感を抱くことはないのですが、秋というやつはやっぱり快適すぎて、てざわりがまったくなく、悪いのは俺しかいなくね? と悟ってしまうには充分すぎる。
神様、悪いのは俺でした。
じゃあどうすればいいか? 正しいことをすればいいのは知ってるけれど、
もはや正しいことをしなければ俺は一生このままなんじゃないか、だから少しでも正しいことを、そう思えることをしようと思うにはもう思うだけで摩耗してしまい、
自己嫌悪さえきちんとできなくなった俺たちはどうなってしまうのか?
終わります。
終わってしまうんですよね。
自己嫌悪しないためにという後ろ向きすぎる理由でかすかにマトモぶれ、まるで白線の上を落ちないように歩いてきた俺たちには消費期限がどこかに貼られていて、そこには「自己嫌悪が尽きるまで」と入れられている。
そもそもこんなもんじゃね? と思ってしまったら最後、本当にそれだけで呼吸してると下がいよいよギリギリのラインに来てしまう。街の中に居る、何となく世界を憎んでいそうな満たされていないオッサン。
アレは、俺……なのか?
まさしく、俺の可能性の一つだ……。
アレを見て見下せる人って、おそらく健全なんですよね。
近い部分を少しでも見てしまったらーーはじまってしまった証拠。
嫌悪していたものに自分が近づいていることに気づいてしまえばーーってホラーかよ。
ホラーなんだよ。人生のジャンルは。つまんねえホラー。本人しか怖くないホラー。
まあ、わかってるんですよ。
ゴミみたいな日によく空を見上げて世界はこんな日でも綺麗だよなと主人公らしく振舞うことがよくあるのですが、あれってとどのつまり、ゴミでカスなのは俺たちだけなのを確認している作業なんですよね。
何かを諦めたときに空がきれいに見えるのも、こんな日なのに景色が綺麗なのも、自分から離れているものは全て美しく見えるに決まってる。
こっぴどく雨が降って欲しいし、台風とか来て全てを終わらせてほしい。俺たちと同じになってほしい。でもそんなときに限って優しくないあいつらがうざすぎる。
平穏で幸福なだけの秋が嫌すぎる。
まあ、わかってるんですよ。
答えなんてものはーー。
ただ生きるにせよ死ぬにせよ幸せになるにせよ楽になるにせよ、
俺たちはただ、俺たちが心から納得できる式で、超つまらない普遍的で凡庸なそこに辿り着きたいだけなんてことは。
そんなものがあるのか? という話ではあるんですけどね。
走るとかもう無理だし、這うしかない。
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けれどまだまだ救いではあるんですよね、
綺麗なだけで何の意味もない景色に感動しなくなったらどうすればいい?
これがなくなったらもうどうすりゃいいんだよ。
※俺"たち"とよく言っていますが、これは信仰でしかありません。