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世界のすべての七月

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という本を随分前に読みました。

あらすじはこんな感じです。

 

30年ぶりの同窓会に集う1969年卒業の男女。結婚して離婚してキャリアを積んで……。封印された記憶、古傷だらけの心と身体、見果てぬ夢と苦い笑いを抱いて再会した11人。ラヴ&ピースは遠い日のこと、挫折と幻滅を語りつつなおHappy Endingを求めて苦闘する同時代人のクロニクルを描き尽して鮮烈な感動を呼ぶ傑作長篇。

 

人生の段階が進む、いや、それは往生際も質も悪い言い間違いで、無駄に歳を重ねるにつれて、内省的な話を読むのが結構厳しくなってきました。もちろん”無駄”って部分が大きいとは思うのですが、”多くのもの”ではなく、”可能性の多く”を失ったからこそ、そう思うのだと思います。

個人の問題としてではなく、一般的に、歳を取るほどに自由な可能性は目減りしていきます。だって俺たちはサッカー選手になれたしアイドルと付き合えた、世界征服だってできた。けれどそれがいつしか良い大学に、良い企業に、良い生活に、良い人生になっていく。
地に足がつくってやつです。当然あの頃みたいにはいかなくなっていく。

悪い話であり、良い話。

それは現状がこんな俺でも悪い話と言い切れない実感を持っています。力というより錘のような実感ですね。

自由になりたいなと思う中で不自由さに楽にしてもらっている。
何かを求めていながら、それを思い切り求められない現状に安心と、少なくない満足を感じている。

昔はそういうものが本当に気に入らなかったけれど、今では許しを持って見てしまう。

俺たちはもうどちらも知っていて、10代は終わって、20代も同じような終わりが見えている。その中で自身を顧みること——昔は過去を見る中に未来を見ていたけれど、もはや過去の中に望むような未来を見ることがひどく難しい。掌にある可能性よりも零れ落ちた可能性の方が目につく。時とともに悪くなっていく自分を発見し続ける。そんなものたちを認識し、目を逸らさずにみつめなきゃいけなくなる作業は、億劫でしかない。

だからか、意味のない頭と頭のやりとりの中で、10代から今まで変わらず期待していたことがあるんですよね。

 

歳を取り切れば、楽になれるんじゃないかって。

 

そんでこの本を読みましたが、まず第一に、うんざりしました。

なぜなら、終わんねえことがわかったから。

こいつら2000年で52歳になっても、結局は1969年度卒業生だった。

そういう話なんですよね。

取り返しのつかなさが、この作品の『老い』と『時間の喪失』と『現実』に本物の重みをもたせている。嘘じゃないことは確かだと思わせてくれるものがある。

歳を取ることで唯一いいと思えるのは、まだそこにみっともなさなりダサさだったり信仰だったり希望だったりを持っていたなら本当にしてやることができること、くらいです。

そうだと思えました。

なので第二に思ったことは救い(少なくとも慰め)になりえる、ということです。

でも現在の天秤はうんざりにかなり傾いています。

これが救いに振れるとき、俺は本当の意味で歳を取ったことになるんでしょうね。