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実は『総括—敗北―』って記事を無職が終わるまでに書いて下書きに入っているんですが、なんというか、”あまりにも”なんでこれは三箇月くらい寝かせるべきだろうと思い投稿できないま7月の中旬に来ました。

すべてにおいて総括をしないと前に進めないのではないかと思っていますが、葛藤なんて言えないレベルのくだらない逡巡の度に、どこかもわからない「前」にまだ進みたいと思っている事実に愕然とするわけで、まだそんなことを思っているのか? まだ? 笑えてきすぎる。

はやく、——どうにかなりたいもんです。何にもなりたくないけど、それ以外にそこに置くべきだろうと思える言葉が見つからない。どうにかなりたい。どこかへ行きたい。ここから出たい。あるいはここを受け入れたい。

 

煙草についてです。

昨今文字通りみんなから煙たがられているあの――ってくだらなすぎというかキモすぎですか?

煙草に憧れていた時期がありました。
大学生の頃、俺に金さえあれば煙草を手にしていた気さえします。
もっと言えば高校生の頃から酒にも煙草にも憧れていました。考えてみれば、後にも先にも自分が明確に欲していた物はそれらくらいだとさえ思います。

大学にしても高校にしても理由は同じで、
『終われる』から。

いや、もっと正確に言うなら、この耐えがたくままならない現在をとびきり悲観し続ける許しと言い訳をくれるから。

わかってくれますか?

煙を吸って吐けさえすれば自分について何を説明する必要もないと思えたし、自分のことを気持ち悪いとも思わずに浸り続けることができたし、きっと一人称を「僕」にしたままで、19xx年代の暗くて自分は自分はの音楽ばかりを聴いて、「僕は不幸です」と、そんな顔をして廃墟や廃れた町に自分を重ねることを厭わなかったはずなんです。

本当に失うことは酷く難しいことですが、失うフリは驚くくらい手にしやすい世の中です。ブックオフで雑に本を抜き取る感覚で、たやすく何かを失った顔をすることができる。

わかってくれますか?

 

欲しいクセしてそれを手にした自分の顔を思うと気色悪くて仕方なかった。

実際金や未成年なんて些末な問題すぎて、越えるなんて言うほどデカい障害でもなく、憧れながらも嫌悪して罪悪感すら抱いていたわけです。
あらゆるものに自分を重ねることが気色悪すぎてキモすぎて無理だったわけです。
その一歩になるには充分すぎる手段だったわけです。弱いか、あるいは虚勢を張り続けてる人間はきっかけ一つで簡単に「気持ち良い嘘の喪失」に流れるからです。誰からも何も奪われていないのに。

何が言いたいかと言うと、俺は俺なしに煙草を吸って、俺なしに景色を見て、ありのままのそれを――純粋に独立している美しさを肌身に感じてみたいんです。

自分の心を震わせるために、みんなを俺の道具にしたくないんです。

それが俺が持てる唯一の誠実さだと思い続けてるからです。

つまり決定的に叶わないということです。

 

わかってくれますか?