044

『冥契のルペルカリア』終えました(感想/暇追記)


お疲れ様です。暇です。
ということで、『冥契のルペルカリア』の個人的メモ的感想を書いていきたいと思います。ネタバレです。

全編プレイしてみて感じたのは、惜しさ。
それも不可能の月について語るこの物語にとってはふさわしく皮肉なものではあるとも思いますが、この傑作に一歩届かない惜しさの原因はどこにあるのでしょうか?
群像劇的なのでテーマが取っ散らかり気味になってしまったと感じたからですかね。。
めまぐるしく変化する視点の中、最終的に一つのテーマに沿って物語が纏められていくのが群像劇の醍醐味だと勝手に思っているのですが、それを纏める機能を果たす主人公が圧倒的に弱いんすよね。それは個のエピソードが往々にして強いからというのもありますが、ヒロインとの関り合いにおいて主人公が果たす役割がほぼ逃避の一点だというのがそうさせたのかもしれません。しかし何も弱いことは悪いことではなく、だからこそ真の要素『妹』ではその持ち味をいかんなく発揮したと言えます。
結局は好き嫌いの話に留まりますが、俺はかっこいい主人公が好きで、やっぱりヒロインに何かしら行動で見せつけて欲しいわけです。言葉だけじゃなく。

中盤までの共通ルート、フィリア公園まで物語はそれなりに刺激のある展開を踏まえて来、劇場で登場人物それぞれの想いへの結果や納得、救いというようなものが伏線回収的に展開されます。きっちりして見事だなと思う反面、優等生的で、こっちまで届くものがあまりなかった印象を受けました。
優等生的に伏線回収をしてしまうからこそ軌道が読めてしまうというか。
しかし天才と凡才についてが好きな人は結構楽しめる内容かと思いますね。
一方俺はですが、演劇という性質上なかなか天才性について説明不足を感じ、広い意味での天才と凡才についての語りになってしまったのが超惜しいと思ってます。
演劇である必要があるかという点で。サクラノ詩はその辺が非常に精巧なつくりになっていて、絵画に人や才能、葛藤、意味づけ(哲学的な、文学的な)がうまい。いや、どうしても比較してしまうんですよね。ツインテのレズいるし

それ以降、より面白くなっていき、匂宮めぐりの筋は良いんですが、主人公の筋があんまよくないんすよね。。

フィリア公演でもその後でも言えるのですが、演劇が大きな舞台なのに、伏線回収、テーマの伝え方がその戯曲、物語に終始しすぎてアレだったのでもう少し必然性が欲しかった。戯曲作家の生き方だとかに踏み込み、さらに伝説的な舞台役者の人生にスポットを当てたりすればもっと必然性と奥行が出たんじゃね? と思いました。やはり演劇ならではのものが欲しい。

個人ルート終わらせてTRUEを選択していったのですが、主人公に好感を少しでも持ちたいと思うなら個人より先にTRUEやった方が良いんじゃね? とは思いますね。
——いや、せめてヒロインの魅力を感じるために個人入ったほうがいいか。

あ、あと実妹が居る人は絶対にプレイしないほうがいいです。