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負けて”やった”

お久しぶりです。暇です。
今年もお疲れさまでした。

ふとした瞬間に更新しようと思ってるんですけど、気づいたら内容がほぼ全て『呪詛』になりこれマジでたとえ墓場にもぶっさすもんじゃないだろ……になってたので全然更新できてませんでした。俺、4月の方は毎日かいてくぞ! みたいなフレッシュな気持ちがあったんですが、もちろんのごとく怠惰さそして日常のなにもなさ、そして何より自意識に阻まれて無理でした。それにそこまで語れる内面というものが俺にはなく、あるとしたら世界に対してガムを吐き捨てるような終わった不満と抵抗感のようなものくらいで、Twitterのくそくだらない140字にぼんやりと込めていた方がはるかにおさまりがよくそこで朽ちさせとく方がましだなという感がある。

合唱に鼻歌は持ち込めませんしね
(キッショ)(サッム)(死ね)

観客も盛り上がってきたようです。

正直に言ってしまえば、無職になってからこんなにも時間が経ったなんて信じられません。別にこれは俺が高校生であっても大学生であっても社会人であっても同じ答えなのですが、今回は一段と度合いが上がってます。なぜならば、この期間を肯定できるものが、わかりやすいものが一切ないからです。

”現時点”で、俺は、”負けて”やっているということです。
(お兄ちゃんださすぎる!)

人生に意味があるものといえば、誰かと出会えることです。
何かが成せる人間は、誰かと出会わなくたって何かを成せて有意味な人生になるのは事実だし、(呪詛になってたので該当箇所削除しました)、特に場所なんかにはこだわらなくても特別な思いを抱かなくても問題ないですが、いや、まああいつらってサッカーも盛り上がれるしどうせ友達もたくさんなんでしょうが、

すみません、これは俺たちの話でした――《もしも》俺たちがそっち側だったら、友達なんかいらんくね? って言えちゃうと思うんです。強がりでも、そして欲しくて欲しくてしょうがなかったと思いながら人生を閉じる際にも、そう言い切れると思うんですよね、だって人生を肯定してくれる意味があるから。

では俺たち――いや、現時点での”俺たち”になんの意味があるかといえば、別に何もないんですよね。いや、過去にはあって、そして多くの場合で失いましたよね。そして可能性も見間違えた星の明るさ程度に細まる中、「それでも人生は続いていく」。そんな中で何か慰めを探ろうとすれば、誰かと会えたことそれだけなんです。
どうせ次の世界で会いもしないだろうけど、ここでは会うことができた一回性は俺たちの何も為せなかった人生を肯定してくれる。
あの失敗を肯定してくれて、あの恥ずかしくて思い出したくないようなものを肯定してくれて、くそみたいな場所にいたことを肯定してくれて、つまりは人生を肯定してくれる。
全てが直接的にか間接的にか結びついて誰かと少しでも親しい会話をできさえすれば、まあ、悪くなかったよ、と言い切ることだってできうる慰めが生まれる。

(まあ俺の場合、会社の同期と先輩に優しくしてもらったんですが、そんな優しい人たちに”惨めな”俺が連絡をとれるわけがないだろうということで、お誘いを断ったきり二度と誘われなくなったのですが……。)

中学時代や高校時代、そこそこ仲が良かった、あるいは仲が良かった人がいて、今では一切関係がなくなって、ふと、「あれは何だったのか」と思うことがありませんか?
俺はありました。
話はそれますが、友達とか気恥ずかしくてそんな言葉がつかえないし今だって使えないかもしれない。でも、関りが一切なくなってからは友達だったと素直に言えることができるらしいんですよね、最近の気づきですが……

ともかく、俺がそんな関わり方しかできてこなかったという説が有力だし、そういった慰めしか手段を持たないせいなのか、だとしてもそこには言葉と空気と時間が確かにあって、別に何も損なわれても失われてもいないのではないか――

すみません、ここで自意識が発動してしまったのでこの話題の続きが書けなくなりました。

最近思ったことを書いていきます。

・幸福の人間も不幸な人間も酔ってるけど、不幸を自称する人間の酔いで煙草やアルコールが利用されてることムカつくよな?
世界にはきっとそれしかない人がいて、大抵不幸自称の人間は「すべてを理解してくれる恋人ほしい!」程度をでっかくでっかく語っているだけだからなおさら苛立つし、しかも大抵あいつらには友達がいる。

・「恋人がほしい!」的な叫びをSNSでよく見かけるのですが、これって、「友達がほしい!」より切実さを欠いている気がしません? 友達のほうは、なんか純粋に誰かとのかかわりあいを求めてる気がして好き。(差し迫った方が話題にするのは全然いいのですが!)

・自称”祈り”勢がマジでイラっとする。そう、音楽も物語も消費されているんだぁー!的な作品が両方面に多すぎる。特に聞いてみ?最近の邦楽。もうそんなんばっかりだからね。メロディーがいいくせに最悪なんだよな。こいつらって無神経だから自分らが大事に大事に守ってると思ってる”ほんとうの美しさ”汚してることに一切気づかないんだよな。語り方で全て察してしまうよね。同じなんですもん!

・これクソどうでもよくね?

・これ負け犬の遠吠えじゃね?

抱負でもいきますか。
そうです、結局言いたいことはただ一つ――。

 

いつか負けた『フリ』をやめて、俺たちで勝ちましょう。

 

お兄ちゃん、これ星に願っても無理なやつだよ……と脳内の実在してる真実の実妹が囁いてきました。

この一年間の良かったことと言えば、負けたことです。
負けている限り、全て優しい、馬鹿みたいで無意味な言葉になります。
それだけが負け犬の唯一優れた点だと、それだけは思います。

まあ、これも負け犬の遠吠えなんですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※俺"たち"とよく言っていますが、これは信仰でしかありません。